子どもの頃の憧れは、サーカスの前座のピエロでした。
℡090-4602-6603(本名:古賀一史)、メールsasai2gou@gmail.comまで、お気軽に問い合わせ下さい。
2011年05月15日
性分なのでしょう。
大学からずっと山梨にいました。
28歳の時に佐賀に帰ってきて、5年。あっという間に過ぎました。
で、最後に山梨でやっていたバンド。「ベーヤンフロムドイツ」。Youtubeで発見!!
サザエさんとビーチボーイズを融合させよう(サザエさんのコード進行でどれだけビーチボーイズ出来るか)。
そんなバカばっかりやっていました。
「タイコさん」(歌詞は日曜日の夕方にタイコさんに会うのを楽しみにしている男の歌)
バンドメンバーは、酒飲みだけど楽器には真剣なやつばかりで、真剣にバカやってたんですね。プロにはなれんけど楽しかったな。
で、これ、ワンマンバンド始めた時の写真。

当時50キロだった体重が、現在、65キロになってます。重いドラム背負って動きまわるので、筋肉がつきました。
今も、真剣に努力しているつもり。昔穿いていたジーパンは今、太もも太くなって入らない。
こいつ、バカだなぁ~と笑ってもらえれば幸せなのです。
そんな性分なのでしょう。
28歳の時に佐賀に帰ってきて、5年。あっという間に過ぎました。
で、最後に山梨でやっていたバンド。「ベーヤンフロムドイツ」。Youtubeで発見!!
サザエさんとビーチボーイズを融合させよう(サザエさんのコード進行でどれだけビーチボーイズ出来るか)。
そんなバカばっかりやっていました。
「タイコさん」(歌詞は日曜日の夕方にタイコさんに会うのを楽しみにしている男の歌)
バンドメンバーは、酒飲みだけど楽器には真剣なやつばかりで、真剣にバカやってたんですね。プロにはなれんけど楽しかったな。
で、これ、ワンマンバンド始めた時の写真。

当時50キロだった体重が、現在、65キロになってます。重いドラム背負って動きまわるので、筋肉がつきました。
今も、真剣に努力しているつもり。昔穿いていたジーパンは今、太もも太くなって入らない。
こいつ、バカだなぁ~と笑ってもらえれば幸せなのです。
そんな性分なのでしょう。
2011年05月14日
そろそろいいかなぁ。

忌野清志郎さん、日本語作詞の「500マイル」。
忌野清志郎さん好きで、歌詞も素晴らしくて、ワンマンバンドで練習している期間に、遠くへ行かれてしまったので、封印していました。
本当に遠くへ行ってしまうような歌詞で、なんだか歌っていると、ぼくが悲しくなってしまい、ワンマンバンドはとっちかというと賑やかしをしようと思っていたので、封印していました。
「汽車の窓に映った夢よ 帰りたい心 抑えて。 抑えて 抑えて 抑えて 抑えて 泣きたくなるのを 抑えて」
ここで泣いてしまうんです。でも、最近は感情が入って歌う曲もいいかなぁと思うようになり。
ワンマンバンドは、全身使うので、一曲弾けるようになるのに時間がかかるのですが、練習再開しようかなと。
最近はこういう、感情が入る曲もやっていこうと思う。
2011年05月13日
19日、佐賀テレビにでるよ。

宝くじドカーンと1000万円スペシャル~佐賀版~
5月19日、16:00~佐賀テレビで放送だよ。
ワンマンバンド、ドッカーンと賑やかします。テレビは、目の前にお客さんがいるわけではないので、慣れてなくて緊張します。
いかに、聞いてくれてる人にぼく、助けられていることか!!
ほんと、手拍子とか、いつも温かく迎えて頂いてありがたいです。
で、今回、スタジオにお客さんがいる、イベント形式だから安心ね!!
もりもり盛り上げるぞ!!
佐賀テレビさん、ワンマンバンドというちょっと変わった芸を扱ってくれたり、キテレツ大百科やっていたり、素敵だなぁ。
ありがとうございます。
2011年05月12日
夢を語る。

今日は新聞記者さんの取材でした。
県外での演奏が多く、佐賀に住んでいて佐賀で演奏したいので、取り扱ってもらうことはありがたいことです。
こういうとき、よく、夢を聞かれるのだが、長くなるのでいつも記者さんを困らせてしまう。
変に思われるかもしれないが、ぼくの夢はこんな感じです。
ぼくは、小さいとき、バルーンフェスタで見た、外国の方がやっているワンマンバンドが、ずっと記憶にあり、今や自分がワンマンバンドをやっている。だから、子どもの前で演奏するときは、いつも小さいときの自分と重なる。仕組みとか、どこで音を鳴らしているのかとか、目を輝かして見ていた。演奏後、子どもが仕組みを聞いてきたりしたときは凄く嬉しい。そして、子どもには仕組みを教えたり、ワンマンバンドセットを背負わせたりしている。
ここからが、ぼくの考えていること。
ぼくは、現在33歳。そして、30年、40年後のことを考えている。佐賀で、もしくは何処かで、昔、ぼくを見てくれた子どもが、ワンマンバンドをやっているかもしれない。今のぼくのように。そんなことを考えている。そのとき、おじいちゃんになっているぼくは、そいつに話しかけるのです。
「重いし結構きついだろ!!それ!!」って。
ぼくは、こんなことを考えている。小さいとき、ぼくを見てワンマンバンドやろうと思った子どもがいたら最高だろうなぁと。
だから、子どもの前では、夢を語るのではなく、夢でありたいと思うのです。
夢を語るのは簡単だ。しかし、プロ野球選手は、野球少年の夢だ。サッカー選手は、サッカー少年の夢だ。仮面ライダーは子どもの夢だ。
ぼくは、そうありたいと思うのです。
2011年05月11日
ユッケとななこが。

昨日は福岡、「ラウンジサウンズ」でななこが。
ライブハウスなのだけれど、この日の流れは、二胡から、三線、津軽三味線という流れ。
面白かったなぁ。二胡は中国の歴史ある楽器。三線は、中国から琉球王国に入って来た楽器。共にニシキヘビの皮が張ってある。それが、本土に流れて、蛇が手に入らなかったので、犬や猫の皮を使って独自の発展をとげたものが、日本の三味線。沖縄では、三線のことを元から三味線と言ってた。
うん。文化ですね。
で、ライブハウス近くに、韓国料理屋が沢山あったので、ユッケを食べるのを楽しみにしていたです。「ライブ≦ユッケ食う」なのだ。
ちなみに、ユッケ韓国行って食べるぐらい大好きなのですよ。それぐらいにいいライブしたよってことですよ!!文化だよ。
そうしたら、近くの韓国料理屋さん軒並みに閉店してた!!非常に残念!!遺憾です。
アジアにはよく行くのだが、昔、ソウル行ったときに、普通に観光用じゃない店に入って、ユッケ頼んだらなんか言われて、片言の英語が話せる連れに通訳してもらったら、「子どもと老人とお腹の弱い人には出せない」っていう感じのことを言ってたそうだ。
日本人だから、心配してくれたみたいだ。
もちろん、「アイハブ、ストロング、ポンポン」ってお腹叩いて食べた。
ポンポンis世界共通語?
ああ、ユッケが食べたいのです。
あと、北島三郎様が博多座に来ていらっしゃるので、見に行きたいのです。